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正気に戻る空間としての居場所

2017.12.16 16:27|問い直すシリーズ
 板橋にはコミュニティカフェやたまり場・居場所と呼ばれる地域の交流拠点の運営者をつなぎ、コミュニティスペースを広げていくことで地域福祉の向上を目指しているグループ「いたばしコミュニティスペース連絡会」があります。ほとんどが常設の21団体で参加しそれぞれ特徴ある活動が行われています。

 12月9日「生きにくい社会に抗して人間の居場所を考える」と題する田原牧氏の講演会を聴きました。氏は東京新聞記者、『ジャスミンの残り香―「アラブの春」が変えたもの』で第12回開高健ノンフィクション賞を受賞しています。
 10・22衆議院選挙で自民党が大勝したことをベースに、社会の歪みを記者の鋭い目で次々と指摘する、氏の経歴から当然ながら論調は過激ではあったものの明快かつ説得力がありました。

 今の社会現象への処方箋は急がば回れでの居場所づくりであると断言。
 このブログのタイトル「正気に戻る空間」も氏のレジュメのパクリです・・・

 正気に戻る(覚醒)必要がある事例
 ・座間事件で顕在化した「消えたい」願望
 ・無力感=職場でのうつの蔓延 を挙げている

これまでの私たちの取組みから観えてくる「居場所」づくりには幾つかのハードルがあったので紹介します。
 ①コンセプト
  ・地域社会課題の内、何の解消軽減を目的にするか明確にすること
  ・それでも常設であれば曜日・時間帯によって住み分けすることで敷居が下がる
  ・矛盾を承知で言うならば何となく人が集まれことからスタートでも大丈夫
 ②場所
  ・自由さを大切にするには官営の居場所で無いことが重要で場所の確保が困難
  ・子どもから高齢者まで自分の足で行ける小学校区に1か所が理想
 ③資金
  ・運営の為には別途事業収益や安定した寄付等の収益源が必要
 ④スタッフ
  ・当該小地域を理解した地域住民と優秀なコーディネーターが必須
 ⑤大切な視点
  ・居場所に来なくなった人や何らかの理由で来ないひとへの気配り
  ・その他様々な地域資源との日常的な連携、導線が切れると孤立死の可能性あり
  ・広義の学びの場である自覚
  ・運営は可能な限り公明正大をモットーに運営、閉鎖性やボスは敵なり

弊NPOはたまり場を4年半、こども会を2年半運営してきました。
この間、最大の気づきは
  +運営に携わる地域住民や参加者(当事者)はやる気満々且つ元気だ~
  +特にこども会には至る所から様々な寄付があった 世の中捨てたものではない


当事者や実践者が光り輝く社会が我らの願いです。

実は、私は「民間きずな国民会議」が募集した『今、きずなをどうつくる』に応募!!
「居場所・たまり場が小地域の一里塚!」と題し挑戦中、間もなく審査結果が明らかになると思われるので発表を待ってこのブログにも公表したいと考えています。
色々な意味でご期待ください。

 次回は「今年の反省と来年への想い」の予定ですが変更な可能性ありです。
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穏やかなコミュニケーション手法

2017.12.10 22:23|問い直すシリーズ
 「読む」「書く」「話す」「聞く」はコミュニケーションの四つの基本であることを知らない人はいませんが、私世代で学びとは「読み・書き・そろばん」だなと思い、嫁はんに聞いてみたらそんな言葉知らないといわれ愕然、聞くことが入ってきたのは戦後なのでしょうか?

 それも単に聞くではなく「聴く」「傾聴」が昨今、教育・福祉・医療・司法などの対人援助職やそれらを支えるボランティアの基本的姿勢として位置づけきています。

 さらに、単に対人援助の枠組みに留まらず、人々の相互理解が求められる場面でも傾聴の重要性が叫ばれてきているようです。

 例えばボランティア養成講座に「傾聴の方法」に類する科目が盛り込まれています。
 *相手の発言を聞くではなく傾聴しましょう
 *相手の発言にはうなずき等の動作で答えることが大切
 *より共感の態度を示すためには相手の言葉を繰り返し言うこと

                                  などなど
 
 これらは往々にしてテクニカルな手法としてとらえられてきていることに、課題と限界があることを指摘できます。
 
 別の目的の為の手段・技法と多らえられる例を挙げると・・
 +クレーム対応のスキルとして傾聴が使える
 +まずは傾聴してからアドバイスするようにしましょう
 など

 欠かせない視点は
 @その人を心の底から理解したいとの思いの上に立って言葉・表情・しぐさなど全てのメッセージを丁寧に聞くこと
 @話し相手だけではなく聞き手自身が「自身への傾聴」の側面があることを理解すること


『7つの習慣』『第3の案』の著者F・コヴィ博士は
*五つの聞き下手スタイルとして
 ・上の空
 ・聞いたふりをする
 ・選択的に聞く
 ・言葉だけ聞く
 ・自己中心的に聞く
*人の話を聞く時の四つの反応
 ・評価する―同意するか反対するか
 ・探る―自分の視点から質問する
 ・助言する―自分の経験から助言する
 ・解釈する―自分の動機や行動を基にして相手の動機や行動を説明する
*共感による傾聴までの5つのレベル
 ⑤共感による傾聴   相手の見地に立って聞く
 ④注意して聞く    相手の立場で聞く
 ③選択的に聞く    同じ
 ②聞くふりをする   同じ
 ①無視する      同じ

 キレる若者・暴走老人の文脈で語られる課題満載社会の解消には人間相互のコミュニケーション力強化が求められるわけで、そのためには対等な会話ができる確かな基盤づくりが急務というところですが、一筋縄では行きそうにもありません・・・。
 新自由主義が蔓延している現状では微かな処方箋も見つけられないのが現状ではないでしょうか!?!

今回のまとめ
 〇相互理解の為にコミュニケーション特に「共感的な傾聴」が大切
 〇とは言えネットが巻き起こす明らかな情報過多・氾濫からまともな議論・対話が
  成り立たないプロセスを見過ごすことは出来ない

次回は私の長年のテーマである「居場所」を取り上げます。

身近な意識改革とは!?

2017.11.29 22:32|問い直すシリーズ
多くの人に「意識を変える」とは?と尋ねると「古い精神論」「お題目」などなど否定的な言葉が返ってくる。しかし私が一番ショックを受けた返答は「それは上から目線ですよね!」でした。

確かに変えるや改革なる表現には経営者や著名なコンサルタントが口にする場合、決してフラットな関係にない人からの明らかなトップダウン的な言い回しであることは事実ですし、時として人格まで否定される感じがします。

広く知られている日本電産の永守重信社長流意識改革は
 経営力=(仕組み(仕事も進め方、行動パターン、マネジメントスタイルなど)
   +匠 (技術力、経験、資産))× 意識


ここに2つの会社があり、仕組みと匠がほぼ同じレベルであっても経営者から従業員までそれぞれ且つチームとしての意識の高低が経営力に大きな差が生じます。しかも足し算ではなく掛け算として会社の成果に多大な影響を与える、、、つまり、意識は正に改革の根幹であると説いています。

1997年11月24日山一証券の破綻から20年が過ぎ、昨今の度重なる大企業の不祥事を「経営力の今」に重ね合わせて考えると私がこれまでに指摘してきたグループシンク(集団浅慮)がますます深まっていると断罪せざるを得ません。

仕組みや匠にほころびが生ずれば意識どころではなくなります。更に多くの非正規労働者に愛社精神を持てと言われても心身ともにそんな余裕はありません。
私の勘繰りであることをお断りしてではありますが、これからも内部告発が多くでると感じています。

こんな世相のなかで地域が元気になるためには多くのハードルが高くたちはだかるのです。

+個人主義・自由主義の蔓延 謳歌?
+個人情報保護の壁
+どっぷりトップダウン方式に慣れ親しむ地域住民
+「今さら絆といわれてもね!」症候群


現状打破のヒントの一つに松村圭一郎氏の提言(『うしろめたさの人類学』ミシマ社)をご紹介します。

『社会を変革する道は「うしろめたさ」に気づき、境界を引き直すこと』『強固な制度のなかにスキマをつくる力は「うしろめたさ」にある!』と述べています。
更に世にあるスキマを埋める(これまでニッチな分野が事業のヒントになるといわれていた)ことより穏やかにスキマを作ることが大切であるとの指摘には大いに共感できます。

我々はこれまで「うしろめたさ」を卑下と捉える習性があり前向きに考えるには戸惑いがあるでしょう。しかし、後世に多額の負債を残すこと等多くの社会課題を思い起こすならば我々になすべきことは何かあるずです。ひょっとして人々はもう気づいているかもしれません。そんな風を感じる事例を紹介します。

私が2015年6月にスタートした南蔵院こども会(こども食堂)に対し多方面からの様々な支援を頂いています。地域の人だけではなく少しオーバーに言えば全国からです。企業・団体・個人からの力強い「つながり」を実感できているのです。ですから、私は心から世の中は捨てたものではないと思っています。
この流れが一時的ではなく継続できれば大きなうねりとなるでしょう!!

この流れを確かにものとするために地域住民への情報発信は欠かせないところでこのブログ開始もそこにフォーカスしたいと思っています。

今回のまとめ
@ボトムアップな意識改革が最高
@誰もが持っている利他の心から地域の力へ
@社会が閉塞しているのではなく個々人の心が閉塞している

次回は「穏やかなコミュニケーション手法」について書きます。

問いなおすシリーズ1~見学~

2017.11.17 22:03|問い直すシリーズ
先日、某NPOの見学会をチラと覗かせてもらいました。

参加者が求める見学の狙いはおおよそこんなところでした。
 *地域住民の意向を汲み取る手立てを知りたい
 *地域の助け合い・支えあいの実践事例を教わりたい
 *事業立ち上げ過程や苦労を教えて欲しい
 *サロンを行っていますが最近人が集まらなくて困っています、対策を
 *スタッフの確保策は?
  などなど

一概に見学と言っても私的なものと、公務員・議員などの視察に分かれると思うが、ここでは私的見学に限定して話を進めます。
一般的な流れは見学企画者の挨拶・見学先の挨拶・見学者の自己紹介・事業等説明・質疑応答・見学者の感想・企画者と見学先の挨拶...というところでしょうか!!

見学者の課題と私の願い

 +見学者の業務等の現状(現在位置)が正確に把握され何を加除すべきかの理解は?
 →業務上の課題解決のヒントを得たいという思いが大切

 +この見学先で知りたい情報をゲットできるかというチェック?
 →事前に数多ある情報を入手しておく姿勢が重要、自分のペースを保つ

 +見学の成果が所属団体等に何らかのインパクトを与えたいと思っているか?
 →「あの地域とは文化が違うからな~」で終わらせてほしくない


今回の見学会ではありませんがサロン主催者とのやり取りを紹介します。

見学者(K):初めは多くの参加者があったが最近大幅に少なくなって困っています
見学先(S):一因は参加者の高齢化でしょうが運営に課題があるのでは?
(K):私をはじめスタッフはボランティアで一生懸命頑張っているんですがねぇ...
(S):あなたやスタッフは地域の人ですか?
(K):ほとんど他の地域の人でわざわざ自転車で来てくれています
(S):これまで地域のどんな人が来てくれていました?来なくなった人は今どうしていますか?来てくれている人で元気な人は?
(K):そんなプライバシーに係わることは知りませんし知ろうとも思いません!!
(S):活動内容は誰が決めていますでしょうか?
(K):私とスタッフだけで決めます、みなさんはお任せしますと・・・
(S):長年地域の為に頑張ってきたようですが「役割りが終わった」のでしょう!!
(K):・・・・・・

サロン課題
 ・多くの主催者が抱いている「やってあげてる感」は地域の迷惑
 ・サロンが「地域の・地域による・地域の為の」集いの場であることを失念
 ・来なくなった人こそ気にかけるべき
 ・元気な参加者がスタッフの役割りも可能では?サロンはチームで

サロンへの提案
 @参加者数をあまり気にしない
 @可能な限り地域の人にゆだねる
 @主催者は影武者が理想


こんなやり取りで質疑応答も盛り上がり中身の濃い見学会となりました。

一方、討議が噛み合わない例として「地域の助け合い・支えあいをどうしたらよいか」を例にとります。
一番の問題は見学者が地域の状況(地域資源や住民気質など)理解が成されていない為、終始一般論に成りがちです。例えば見学先から「地域に常設の居場所があると良い流れが出来ますよ」と言われても自分の地域を知らなければ何の気付きにもなりませんし新たな発想も湧きません。

見学先にも課題はあります
 〇自分のところの自慢話もほどほどに
 〇質疑応答・討議の時間が少ない


見学先への提案
 ◎コーディネート的見学の勧め(見学者との討議を通じ課題解決の糸口を探る)
 ◎今後協働できれば双方にメリットが生じる


最後にこれまでの見学に形作り感が漂っているのは残念です。
それぞれが貴重な時間を費やすのですから実のあるものなって欲しいと思います。

そのためには、ここで「意識改革」の必要性を強調したいと思います。

次回は問いなおすシリーズ2「意識改革」にしましょう!!

「つながらせたくない」というワナにはまってはならない

2017.11.16 12:51|問い直すシリーズ
 社会を取りまく課題が山積していることを万民が認めるにも拘らず、一向に方向性すら見出せない現状に風穴をあけ打開の道筋を探りたい。

 シルバー民主主義等を標榜する既得権益を守りたい人達にはほとんどの点で現状維持が重要でしょう。また、地縁型組織に属する多くの人達も大きく変化することには懐疑的で地域は自分達がコントロールしていると信じて疑わない。
 この状況は権力を持った側から観察すると一つに言葉面で「絆の空洞化」を目論んでいると思われてならない。3・11でみられた助け合い支えあいの熱い力をあくまでも個人レベルに留めておいて、社会全体のうねりに展開するのは阻止したい、広く国民にそこに内在する色々な不条理に気づかれては困るのである。

 一方、個々人にも大いに反省すべき点はある。情報としてなんとなく知っている社会課題を自分ごと化せず、スルーする思考回路だ。巷に蔓延する「自己責任論」に代表される、まさに誤った個人主義・自由主義である。
 
 ここに指摘した2つの視点からも理解されるとおり、打開の道筋は厳しいことを認識しながらも何もしないで手をこまねいているわけにはいかない。
 私が着目した視座は意見(合意)形成に新たな手法(道筋)の導入である。それはこれまでの会議・委員会等の場では結論ありき・形づくりとしばしば総括される討議等がトップダウン方式で行われていることが広く住民の参加・参画の芽を摘んでいることにある。自分たちが住む地域を良くしたい・関わりたいと思う心を参加・参画のステージに登場してもらうにはボトムアップ方式の導入が何よりも大切ではないだろうか!

 諸外国には「熟議(民主主義)」「共同創造」「プラーヌンクスツェレ」等意見(合意)形成の手法があり有効性が広く確認されているらしい。また、一部市区町村でも先駆的な取組みがなされ成果等が報告されている。
 いきなり市区町村の政策決定レベルへの採用にはハードルが高いことは十分理解できるので市民レベルでの様々な集まりにこれらの手法を採用してはどうだろうか?

 例えば、国が目指す地域包括ケアシステム構築における第2層協議体の運営を名実共にボトムアップ方式にするのである、特段難しいことは何もない。

 宣言(決まりごと)の例
  *「地域の・地域による・地域のための」討議である
  *ほかの人の人格と意見を尊重する
  *如何なることがあっても排除しない
  *多数決が万能でないことを認識する


 こんな宣言(決まりごと)をスタート時に全員で唱和するだけで劇的な改善が期待される。

 こんな簡単なことが俎上にあがることは当分期待できない。なぜならば、実権を持った一部の人達(もちろん行政も)は地域住民がつながることで例えば地域愛に目覚めたり大きな可能性に気づくことを呆れるくらいに恐れているから驚きである。
 それでも例えば小さなサロンなどでひっそりとしかし目的をもって試す価値は大いにあると思う。それが野火のように少しずつゆっくりと、かつ力強く拡散し大きなうねりとなる日の来ることを念じたい。
 この流れが社会課題の
  →自分ごと化→つながる→行動(実践) 
                 とブーメラン化

 であると思うのである。
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